Dの意志とは

「ダイナミック忍者のほっこり庵」を創ろう。

ブログにも、YouTubeチャンネルにも「ほっこり」と付けておきながら言うのもなんやけど、「ほっこり」なんて基本的に自分から言うことではないと思う。

「安心」とか「優しい」も同じやと思うけど、発信者じゃなくて、受け取る側が感じた結果やと思う。

やから、Youtubeも、正確には「ほっこり(してもらえるような)チャンネル」やろう。

そう思いながらも、「ほっこり」と自分で言うからには、それなりの想いはある。

常々、ホットココアのようでありたいと思っているし、最近は焚き火のようでありたいとも思う。

ホットココアみたいに、穏やかに人を中からアツくさせるような温度感。

焚き火のように、心が凍えそうな時、暖を取れる存在。
キャンプの時のように、それを囲んでみんながゆっくり語り合えて、たとえ今は暗闇の中やとしても、やがて朝が来たら、そこを離れてみんな歩き出す。
そんな場所を作れたらええなぁ、と思う。
悩みを抱えて悶々としている人と、その悩みを克服した人を繋ぐ場所。
常識に縛られてしまうと息苦しい。

常識っていうのは、運動会の時に設置するロープみたいなもんで、観る人も競技する人もみんなが楽しめるような秩序の区切りやと思う。
そのロープを引っぺがして、自分を縛ってしまうと、応援もできへんし、リレーにも出られへん。

「忍者は忍ぶべき、みたいな固定観念は捨てて、広い視野でオモロく、心地よく生きよう。」

そうは言いながらも、異端になることは難しいし、世間体は気になる。
ガラッと環境を変えるのが一番やとは思いながらも、大きな一歩を踏み出すのは至難の技やし。

何かを変えようとする時、ついデカいことをしようとしてしまう。
そら、大きく変えるのが手っ取り早いし、そうしないと根本的には変わらんのかも知れへん。

世の中を良くしようとして、デッカい橋を架けたり、すごい技術を開発しようとするようなもんで、誰にでもできることではない。
正確にいうと、できることなんかも知らんけど、これまでの自分というのが邪魔をする。
すごい人には憧れるし、そうなりたいと思う。

だから自己啓発本が売れるし、そういうセミナーが流行る。
イチローとか本田圭祐の動画を見ては、自分を鼓舞しようと試みる。

確かにそれらは、きっかけになる。
けど、それで自分が変わる訳じゃない。
別の自分になる必要なんかないし、どうあがいても別人にはなられへん。

ただ、ほんの少し見方を変えて、小さな行動をするだけで、心地よく、オモロく生きられると思う。

色んな人がおるから、イライラすることもあるし、問題も起こる。
でも、それと同時に、色んな人がおるから、自分が抱える悩みの解決法を知ってる人もおる。

誰が正しいとか、こうせなアカンに縛られることなく、目の前の人がどう感じるのか、それが自分の予想とは違っても、まぁ人それぞれよな、と思えるかどうか。
悩みの種類は色々やけど、変わりたいというエネルギーは共通やと思う。
やから、経営者とかニートとか関係なく、変わりたいと思うひとが集まる場所を作りたい。

別の自分になるのではなく、不安を打ち負かすでもなく、それを受け流せる視野の広さを身につけられる場所。

器を広げたい人、優しくありたい人。

経営者も、ニートも関係ない。
ましてや、年齢とか性別も。

悩みにしょーもないも、へったくれも無い。
その人にとってはデカい悩み。
死ぬほど苦しい悩み。

でも、そんな悩みでも、しょーもないと思えるくらい、簡単に流せる人もおる。

しょーもないとけなすのではなく、しょーもないと思える視点を知っている。
ふと立ち寄って、ほっこりして、充電できたら帰って行く。
その場所のことなんか忘れて、今をオモロく生きられる。
そんな人の中継地。

歴史に足跡を残したいなんて全く思わへん。

ただ、
「ちょっとした心の持ちよう、心遣いで、世の中もっとオモロく、心地よくなる」
という風だけ吹き続けて欲しい。

血縁とか、国籍とか性別。

そんなもんを越えるのが「D(ダイナミック忍者)の意志」やと思う。

出来へんことだらけやし、人にとって当たり前のことすら出来てへん自分やけど、ひとつずつ出来ることをやっていこう。

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